2003.06.25
ぞうきんがけ
雑巾もあて字に書けば蔵と金
あちらふくふく
こちらふくふく
宮原賢三
「拭く」と「福」とをかけた楽しい歌だ。教えてくださったのは、当年満百歳を迎える女子教育の権威、行吉哉女博士である。
仏典には雑巾がけに励んで覚りを得た仏弟子の物語が記されている。彼の名はチューラパンタカ(周利槃特)という。物忘れがはげしいことで知られ、落語「八五郎坊主」にも登場している。
さて、このチューラパンタカが兄マハーパンタカに従って出家した。利発な兄に対して弟は愚鈍。四行の詩ひとつが、四ヶ月間かかっても覚えられない。
「わたしの進歩は遅かった。わたしは軽蔑されていた。兄はわたしを追い出した―さぁ、お前は家へ帰れ!と言って」(『仏弟子の告白(テーラガータ)』557)
しょんぼりと表にたたずむチューラパンタカ。通りかかった釈尊は、彼の頭をやさしく撫で、手をとって連れて行き、仕事を与えた。それが履物への雑巾がけだったのである。そして彼は掃除に励み、ついには覚りを得ることができた。―これなどは文字通り雑巾が蔵金となった例であろう。
道を学ぶ術は、なにも難解な議論をしたり、膨大な知識を暗記するばかりではない。ひたむきに誠意を尽くして自己の本務に精進することが覚りをもたらす、ということをチューラパンタカは教えてくれる。
早朝論文書きに没頭していてふと気が付くととっくに洗濯機は止まっている。洗濯物を取り出して、板場をぞうきんがけしながら、そういえばこのごろ本当に物忘れが激しいな、とため息が出た。いやいや、わたくしの覚りもいよいよ近づいているのかもしれない。
神戸新聞2003.06.25
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