岡田文弘は高校時代、校内弁論大会でどんなことを言いっぱなしにしていた

私は友人間などの内輪で話をするよりも、人前で話すほうが得意だ。
一種の特異体質かもしれない。
その体質を買われてか、高校時代は弁論大会に二年連続でひっぱり出され、とてもいい思い出になった。
その時の原稿をここに掲載しておこうと思う。


ひと粒に七人の神様?

日本人の心とはなにか?こう問われれば私は胸をはって「それは米である」と答えます。
私は三食、米を欠かせませんし、夜食にも米を食べるという念の入れようです。受験の時は、夜な夜なごはんを誰も居ない寒い台所で食べていたものです。
私は、米を日本における至高の食品であると確信しています。
まず、米は日本の風土・日本人の体質に適しています。日本人は長年の菜食によって腸が長くなっています。そのかわり足が短い。でもいいんです。腸はながいんですから、希望を持って生きてゆけばいいのです。足が長い人は気をつけてくださいね、腸が短いってことですよ。
そして、健康によいだけではありません。米を育てる水田は重要な保水地として機能しています。
水といえば、1トンの穀物を作るには、1000トン以上の水を消費することになるということをご存知でしょうか。日本は一年に2700万トン近い穀物を輸入しているということは、270億トン以上の水を穀物という形で日本に輸入しているの同じになります。これは信濃川や石狩川の年間流水量の約2倍の量です。国内の米を余らせて外国の水不足を招いていると言うのは皮肉です。
昔は、茶碗に米粒がついていたらずいぶんと怒られたものだそうです。お米一粒は作った人の汗一粒に匹敵すると。また、お米一粒には七人の神様が宿っていると。やっと、タイトルにつながりましたが・・・。いつからでしょうね、こうした価値観がなくなってしまったのは。
戦中戦後、人々は危険を犯して闇米を買いに行きました。命をつなぐために命を賭けたのです。そして、目も当てられないほど多くの人が飢えて死んでいきました。彼らはどれほど「米をたべたい」「生きたい、生き延びたい」と思っていたことでしょうか。しかし、今私たちはまるで当たり前のように米を食べてそれを幸せとも思わず、しかも「幸せになりたーい」なんて叫んでいるのです。
戦後最大の精神的貧困は、「生きていること」が当然の大前提になったことから起こったのではないかと思います。物質主義的な豊かさを追い求め、そこに当たり前に存在している「豊かさ」を、あまりにも見過ごしすぎてきた。忘れてませんか?今日も死なないで生きていることの奇跡を?
幸せを感じられるかどうかは、どれだけ<当たり前>に感謝できるかできまります。だから、一粒残さず食べて、「ごちそうさま」って気持ちよく言ってみようよ。

(2003年度朝日祭弁論大会/最優秀賞・ユーモア賞受賞)


ビートは世界を救う


突然ですが、僕はロックが大好きです。一日中でも「ベイベー」なんて叫びつつ聞いています。
僕はなぜロックが好きなのか?ある時ふとそんな疑問を持ちました。結論として、僕はロックのビートが好きなのだということに思い当たりました。
ビート。新明解国語辞典をひいてみると、「拍子、リズム」と出ています。そっか僕はロックの拍子、リズムといったものに魅かれていたのか、と気づくと同時に、ビート、拍子やリズムといったものは実はものすごい力を持ったものではないか?と思えてきました。
たとえば日常的な例を挙げると、日本の伝統的なお祭り、これはビートの力です。「ワッショイ、ワッショイ!」と掛け声を上げ同じビートで太鼓を打ち鳴らして踊る、これによるストレス発散と日常の異化効果、それこそが祭りの持つ根源的なパワーと見てよいでしょう。
それからお経。お坊さんが木魚でポクポク叩きながらブツブツつぶやいていますが、あれってよく考えたらほとんどラップですよね。ちょっと実演してみます。

(読経)

このように、お経はビート、リズムを大切にするものなのです。だから、お経は和訳されずに、書き下し文にもされずに、意味不明な原文のままで読まれるわけです。
ちょっと視点を変えてみましょう。心臓、これはあきらかにビートを刻んでいます。心臓の鼓動を英訳するとハートビートです。ビートです。そして心臓だけでなくほかの臓器、臓器のみならず体すべてに一定のリズムがあることはみなさんもご存知でしょう。「生活のリズム」「睡眠のリズム」なんていいますもんね。
肝細胞を培養して、心筋細胞を作る研究の映像を見たことがあります。最初、培養したばかりの細胞は、それぞれ全くバラバラのリズムで動いています。しかし、それら同士がつながると、一定のリズムで動き出します。つまり、ビートを打ち始めるのです。
ビートと言うのは、命の響きであり、個別の命をつなぐものだったのです。祭り、ロックコンサートで一体感が生まれるのはビートが人と人とをつないでいたからなんですね。人と人をつなぐことが出来るビート、だから僕は言いたいのです、「ビートは世界を救う」と。
フランク・ザッパというロック音楽家がこういうことを言っています。なにもビート、リズムは音楽的なものに限った現象ではない。「月の満ち欠け、色彩、季節の移り変わりといったものにも、ビートを感じ、リズムを感じることができる。」
ビート万歳!!

(2004年度朝日祭弁論大会/優秀賞受賞)

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