岡田真美子の講演・シンポジウム案内

日本宗教学会第65回学術大会
研究発表

第5部会

三友健容先生
(立正大)
「無記と死後の問題」
死後に関して、ゴータマは出家に対しては無記と答えたが、出家には在家には 施論、戒論、生天論の3点セットで語られていた。
というご指摘に改めて感銘を受けました。
  質問される斉藤明先生(東京大)→
第6部会

田村完爾先生
(立正大)
「日蓮宗教学史における本因本果下種論の本質」

釈尊と日蓮の関係を表裏一体と見るか、別体の師弟関係とみるかという視点で本因本果下種論を見直された研究。
富士派の本因妙の確立など、日蓮自身は当然本因妙的な発言はしていなかっただろうと思うと興味深かった。
お写真撮り忘れました
第6部会

寺尾英智先生
(身延山大)
「中世日蓮宗教団における葬送について」

日蓮宗の葬送においては引導文が重要である。ところが引導文の成立時に関する研究はまだ進んでいない。
これが、少なくとも15世紀はじめには成立していたということを検証された。
第4部会

山秀嗣先生
(武蔵野大学)

「井上円了の教団観―教団を去った仏教者の視点」

信仰の基盤は宗門にありつつ、教団の中にあって教学を講じることを拒み、私塾 哲学館を起こした円了研究。
円了が作った大学内部の創立者観とも教団からの視点からとも違った新鮮な研究。

円了が教団を離れたということについては制度的に離団の事実があったわけではないという指摘があった。
第4部会

黒崎浩行先生
(國學院大學)

「祈りの類型論とその批判的文脈ー鈴木大拙の神道・国学批判―」
大拙が言うように神道に祈りがないということはない。神道では祝詞があり、感謝の祝詞のほうが祈願の祝詞のほうが古い。
(岡田の感想)
鈴木大拙が「祈りを知らぬ神道」と批判したのは、神道そのものに対する批判というより、むしろ新政府の乱暴な宗教政策への批判ではなかったか。(末木さんに同感)
それにしても大拙が、禊や祓を「原始民族の擬似宗教的行事」と言ったのはあまりに過激で品がないと思うし、「人間のみが持ちうる」という表現も日本的霊性を言う人にふさわしくない。

研究教育   評議員会速報 『現代タイにおける仏教運動』東信堂が学会賞に

2006年09月17日 12:07:16 更新

(c)2005 Prof. Dr. OKADA Mamiko