新幹線ドリーマー
起
学生ならば誰もが捜し求める『一時に大金を稼げるアルバイト』というものは、いくつかあるにはあるのですが、どれもそれなりのイワクがあったりするものです。
僕も知人に、「時給三千円のバイトあるんだけど、説明会に来ないかい?」などと誘われたことがあります。時給三千円?キツい仕事なの?「いや、全然キツくないよ。座ってるだけでオーケーなんだとさ」
そんな美味しい話があるのか?――聞いてみるとどうやら『サクラ』の仕事らしいのです。職場はパチンコ屋です。午前九時から午後二時ごろまでの間――つまり、来店する客が少ない間――に、客のフリをしてひたすらパチスロをやる。たったこれだけのことで時給三千円なのだそうです。
実に美味しい仕事に思えますが、その美味しさにはやはり理由というものがあります。早い話がこのアルバイト、違法なのです。スケールが小さいとは言え、危険な仕事なのですから、給料も高くなるわけです。
しかし、よくよく考えてみれば、雇い主はそんな違法な仕事を斡旋するような無法者なのですから、お目当てのバイト代だってキチンと支払われるかも怪しいものです。実のところ、ちっとも美味しくないですね。
サクラの他にも、曰くつきのアルバイトはいくつもあります。
ノーベル文学賞作家の大江健三郎も、初期にはそうした曰くつきアルバイトを題材にいくつか短編小説を書いています。例えば、タイトルがすべてを著す『奇妙な仕事』、これは主人公が犬殺しのバイトを体験するという物語です。それから芥川賞候補にもなった『死者の奢り』、これは主人公が大学病院にて死体運び――アルコール槽に漬けられている解剖用の死体を、新しい水槽に移し変える作業――のバイトをするという物語です。大学病院における死体運び、あるいは死体洗いのバイトというのは、都市伝説としても有名です(大江の作品が、その都市伝説が流布するきっかけになったという説もあります)。
それから、有名どころでは人体実験のアルバイトなんていうのもあります。製品化前の新薬が安全であるかどうか、バイトの学生を使って人体実験するわけです。なんでも、薬の危険さに比例してバイト代も高くなっていくと聞きます(ちなみに、このバイトを題材とした小説としては、筒井康隆のスラップ・スティック小説『エンガッツィオ司令塔』があります)。
さて、世の中にはそうした不思議なアルバイトが色々とあるわけですが、かくいう僕も学生時代にバイトがらみの奇妙な体験をしたことがあります。そのバイトは、サクラのように違法なわけでもないし、死体運びのように不気味なわけでもないし、人体実験のように危険なわけでもない、もっと地味な仕事だったのですが、しかしどことなく一風変わったものであったことだけは確かです。
そのバイトを紹介してくれたのは、当時僕が師事していた大学教授のM先生でした。(彼はもうすぐ定年を迎える、囲碁と日本酒と鴨蒸篭が大好きな好々爺です。)その先生曰く「僕の知人の学者が学生のバイトを探しているんだが、行ってみないか。バイト料ははずむそうだぞ」とのこと。
別にかまわないですが、一体何をさせられるのですか?と問うてみれば、いや、詳しいことは僕もよく知らんのだがね、研究の手伝いか何かだろう、とのこと。
どことなく怪しい香りもしないではなかったのですが、まあM先生が勧めるバイトならばそんなに変なものでもなかろう――僕はそう考えたのです。前述したようにM先生は好々爺で、いっしょに蕎麦屋に行った時などは、食が細いくせについつい鴨蒸篭の大盛りを注文して、案の定食べきれずに残った分を僕にくれたりもする、そんなとぼけた人物なのです。そんな先生の友人なのですから、悪人であるとは到底思えないのでした。
僕は、快く引き受けることにしました。M先生はさっそく瓶底眼鏡をかけ、節だらけの手に万年筆を握り、ご自慢の達筆でもって紹介状を書いてくれ、僕は翌週の日曜日にその雇い主であるF氏を訪ねることになりました。
承
F氏の家は、郊外の閑静な住宅街の一角にありました。僕は先生が手ずから書いてくれた地図(非常に難解でありました)を片手に、微妙な傾斜のついた道をてくてくと歩き、その家を目指しました。整然と立ち並ぶ街路樹からこぼれる太陽光線が、僕の首筋をゆっくりと焼いていました。たまに猛スピードで走ってゆく車が立てる音を除けば、非常に静かな街でした。俺も老後はこういう所でゆっくり過ごしたいものだ、僕は滝のように流れる汗を拭いながらそんなことを考えていました。
二、三回ほど道に迷いながらも、僕はなんとか無事に目的地へ到着することができました。それは、立ち並ぶ立派な家々の中でも一際大きな邸宅でした。荘厳な雰囲気を持つ塀が敷地をぐるりと取り囲み、庭には何本もの枝振りのよい松が植えられていました。正面には巨大な門が聳え立っていました。この家か、と僕はつぶやきました。
インターホンを押すと、シメられている最中のニワトリのような声が「鍵は開けてあるから入ってきなさい」と言いました。さいですか、それでは――僕はシャツの皺を伸ばし、掌で数回髪の毛を撫でつけ、ネクタイがいがんでいないかを確認してから扉を開きました。
そして僕は夏草が生い茂っている前庭を通り抜けて、ようやっと玄関に到達しました。
なんという巨漢なのだろう!
玄関で僕を出迎えてくれたF氏は、体重が二百キロ近くはあるように見受けられました。脚はまるで象のそれのようにパンパンに腫れ上がっていましたが、彼の胴体はそのパンパンの脚すらもが細く見えてしまうほど膨れ上がっていました。そして彼の頭は、その巨大な胴体にすっかりめり込んでしまっているのでした。あまりに堂々とした体躯なので、見ているこっちまで体が重くなったような気分になりました。それはそれは奇妙な気分でありました。
F氏は全身に隈なくついた脂肪を盛大に揺らしながら、僕を応接間らしき部屋に案内してくれました。応接間にたどり着くなりF氏はソファに身体を投げ出し、ポケットから錠剤を取り出して、小さな咳をいくつも漏らしながらそれを飲んでいました。おそらくは心臓の薬でしょう。やはりあれだけ重たい体を動かすのですから、少し歩いただけでもずいぶん体力を消耗してしまうのでしょう。僕はF氏が回復するまで、しばらく待つことにしました。
部屋の床にはペルシャ風の絨毯がひかれ、天井からはシャンデリアが吊り下がっていました。調度品はどれも年代物のようで、埃をかぶっているものの、相当高級なものであることが見て取れました。しかし少々奇異だったのが、壁に何枚も貼られている古い写真でした。そこには、颯爽とサーフィンに興じている、精悍な若者の姿が映っていました。誰だろうかこの青年は、どことなくF氏の面影があるような気がする、と僕は写真とF氏を交互に見比べつつ考えていました。もしかすると、F氏の若い頃の写真だろうか・・・・・・いやいや、とてもそうは思えない。なぜなら写真の中の若者はあまりにもスマートな体躯であるからだ。いくら人は変わるものだといっても、この青年がこんな老人になってしまうとは俄かに考えがたい。しかしやはり、この青年にはF氏の面影があるなあ・・・・・・・・・・・・ああ、ひょっとして、F氏の息子さんの写真かもな。うん、それなら納得がいく・・・・・・・・。
・・・・・・僕はそんなことを漠然と考えて、所在無い気分をごまかしていました。
待つこと数分後。ようやっとF氏も人心地がついたようなので、僕はごくごく簡単な挨拶と自己紹介をしながら、紹介状を差し出しました。F氏はそれを受け取ると、荒く鼻で「フー、フー、フー」と息をしながら、満足げな表情を浮かべて読み始めました。僕は彼が読み終わるのを待ちながら、あらためてF氏の全体像を確認してみて、眩暈にも似た感覚を覚えました。なんという巨漢なのだろう!フー、フー、フー。
「M先生はお元気かね」F氏は、紹介状に目を走らせながら僕にそう尋ねました。
「ええ、元気になさってます」と僕。
「(フー、フー、フー)。相変わらず、鴨蒸篭ばっかり食べてるのかね、彼は?」とF氏。
「ええ、そうですね」と僕。
「そうか」とF氏。
「はい」と僕。
「鴨蒸篭は、(フー、フー、フー)、実に美味いものな」とF氏。
「はい」と僕。
「温い汁に冷たい蕎麦という取り合わせは斬新だよねえ」とF氏。
「はい」と僕。
「ところで鴨蒸篭というものは、鴨南蛮の残り汁に盛り蕎麦をつけて食べてみたら意外とうまかった、ということから出来たメニューらしいな(フー、フー、フー)。」とF氏。
「へえ。そうなんですか。」と僕。
「知らなかっただろう?」とF氏。
「ええ。初耳でした」と僕。
得意げな笑顔のF氏。(笑うと顔の部品が頬肉の間に埋もれてしまうのでした)
愛想笑いの僕。
やがてF氏は読み終えた紹介状をぱたぱたと畳んで机の上に置くと、眼鏡をとり、顔を花柄のハンケチでひと拭いしました(たちまち、ハンケチは脂でべたべたになりました)。そして大きく呼吸をしながら、愛想笑いを浮かべて僕の方に向き直りました。
「ま、そう硬くならずに、楽にしてくれたまえ。(フー、フー、フー)。そうだ、お茶を出すのがまだだったな・・・・・・。君、紅茶とコーヒーと、どちらが好きかね?」
「いえ、そんな、おかまいなく。」と、僕も愛想笑いを浮かべました。
「で、どちらかね?」とF氏。
「では、紅茶をいただきます」
F氏はうなずくと、二回手を打ち鳴らし、部屋の外に向かって「みほさん、ちょっと来なさい」と呼びかけました。
誰が入ってくるんだろう。娘さんか、孫娘さんか、それともお手伝いさんだろうか。
――しかし、一向にみほさんが部屋に入ってくる気配はありません。僕が不思議に思っていると、F氏は誰もいない空間を手で指し示しながら「紹介しよう。(フー、フー、フー)。彼女が、高木みほさん。今は私の家で住み込みの家政婦をしてもらっている。」と言い、満足そうに微笑んでいるではありませんか。
僕は戸惑うばかりです。ちょっと待ってください、一体どこにその「みほさん」がいらっしゃるんですか?僕にはそのお姿がぜんぜん見えないのですが――しかし、F氏はそんな僕の戸惑いなどお構いなしで、「お客さんに紅茶をお出ししておくれ」などと、やっぱり誰もいない空間に向かって話しかけています。
しばらくしてみほさんは部屋から退出し、お茶を淹れに行きました(?)。F氏はニヤニヤしながら「どうだ、なかなか可愛らしい娘だろう。(フー、フー、フー)。しかし見かけがいいばかりじゃなく、よく気のつく性根の優しい子なのだよ。」そう言って、両肩の間に埋まってしまった頭を左右にゆっくりと動かしてみせました。
「はぁ・・・・・・。」僕は曖昧に相槌を打ちました。
「みほさんはああ見えてなかなか苦労人でねえ。(フー、フー、フー)。若くしてご両親をなくしてしまって、親戚をたらい回しにされてしまったんだ。(フー、フー、フー)。それで、これではいかんということで、彼女の父親と面識のあった私が引き取ったのさ。今は立派に大学にも行かせてやっている。(フー、フー、フー)。あとは、嫁の口が見つかれば、もう言うことなしなんだがね・・・・・・(フー、フー、フー)。」と、F氏は滴り落ちる脂汗をハンケチで拭いながら、満足げな口調でとうとうと語るのでした。
恐らくは、孤独な老人の妄想が生み出した幻影なのでしょう・・・・・・。見たところF氏はこの広い屋敷に一人で暮らしているようです。毎日、彼の胸中には消しようのないさびしさが堆積し続けていたと思われます。そのさびしさが、『みほさん』の存在を彼の心の中で育み、そしていつしか彼は『みほさん』を実存するものとして認識するようになってしまったのでしょう。実に物悲しくも恐ろしい話です。
・・・・・・というようなことを考えて感慨に耽っている僕を見て、F氏は不思議そうに尋ねました。「どうした?」
「いえ、何でもありません」僕は慌てて表情を切り替え、愛想笑いを顔面に貼り付けました。「とりあえず、Fさん、そろそろお仕事の内容についてお聞かせくださいませんか?」
「おお、そうだった。」言うなりF氏はひょいと腰を上げ、軽快な足取りで隣室へ消えて行きました。実に変な感じがしました。今さっき、ちょっと廊下を歩いただけでも死にそうになっていた彼が、今はなぜあんなに軽々とした身のこなしで動けるのでしょうか。F氏はすぐに戻ってきて、その手には何本かのビデオテープが握られていました。
「まず、ちょっと見てほしいものがある。」
そう言って彼はテレビの電源を入れ、そのテープの中の一本をビデオデッキにセットし、再生しました。
『山陽新幹線(新大阪―博多)』というタイトルが映し出されて始まったそのビデオは、新幹線の運転席から見える風景が延々と流れるだけという、非常に奇妙な代物でありました。一体これは何なんだろう、と僕の頭上にクエスチョン・マークが浮き上がりました。
「これはシリーズにもなっているビデオでね、鉄っちゃん連中が通販で買うんだよ。」とF氏。「鉄道ファンにとっては、運転席からどんな景色が見えているのかは興味深いことだし、またこのビデオを観ていればまるで自分自身が新幹線の運転手になったかのような空想に浸ることもできる。むろん、部屋に居ながらにして旅行気分を味わえるというのもある。そんなわけで、なかなか楽しめる一品なのだよ。」
「なるほど。そういうものですか」と僕はなんとなく納得しつつうなずきました。
「で、君には、こういうビデオを撮って来てほしいんだよ。新幹線からの風景が延々と映っているビデオをね」F氏は巨大な腹を揺らしつつ身を乗り出して言いました。「交通費と撮影器具は私が支給する。むろん、『今見せたビデオと同じように運転席にカメラを仕掛けて録れ』などと言う無茶は言わない。私は特に、運転席からの眺望には興味はないからね。むしろ、客車の車窓からの景色に興味がある。だから君は新幹線に乗り、車窓から見える風景をカメラに収めて帰ってくる、それだけでいい」
「なるほど」いまいちピンとこないままに僕は何度もうなずいてみせました。F氏はそんな僕を見て、満足げな顔で大きくうなずいてみせました。
「ええと、いつまでに撮ってくればいいんですか?」
「いつなら出来そうだね?」
「そうですね、なにしろ暇なもので、その気になればいつでも出来ますが・・・・・・」
「では、なるべく早めに取り掛かってくれ給え。」
「わかりました。で、あの・・・・・・。」
「バイト代か」と、F氏はにやにや笑い。
「はい。」
「フィルムの出来にもよるがね。ま、どんな出来であろうが最低でも・・・・・・円ぐらいは払うつもりだよ(その金額は、かなり魅力的でありました)。しかし君のがんばり次第では、・・・・・・円くらい出す気はある(その金額は、ほとんど僕にとって奇跡でした)。どうだね?」
「やります」僕は力強く言い切りました。
「そうか」F氏は相好を崩し、大きく深呼吸をしました。そして、眼鏡をはずして顔をハンケチでひと拭きしました(今、このハンケチにライターの炎を近づければたちまち燃え上がるような気がします)。フー、フー、フー。
というわけで、僕はめでたくF氏に採用されたわけです。F氏は参考資料として先ほど上映したのと同じような種類のビデオを数本および前任のバイトが撮影したフィルムを一本、それから新幹線の時刻表、地図、手持ち型ビデオカメラ、カメラの取説といったもろもろの備品を僕に渡して、またぞろ満足そうな顔をしました。
帰り際、F氏は書斎に貼ってある写真を指し示しながら「私の若い頃だよ(フー、フー、フー)」と、腹をもとい胸を張っていました。その時僕が無意識のうちによほど奇妙な顔つきをしていたのでしょうか、F氏は少々心外そうな顔をして「なんだい、疑い深そうな顔をして。そりゃ、今でこそ(フー、フー、フー)こんな有様だが、私にも君のように(フー、フー、フー)若い頃があったのだよ。」そしてふと、感慨深そうな表情で「人間というものはね、意外に簡単に肥えてしまうのだよ」と言いました。
人間というものはね、意外と簡単に肥えてしまうのだよ。
こうして面接は終わりました。
結局、みほさんは僕にお茶を出してくれませんでした。
転
その週末、僕はついに撮影を決行しました。
計画は以下です。東京―博多間を半日かけて走り、博多で一泊し、帰って来る。
――なんとも言えない、素っ気ない計画です。まあしかし、たった一泊とは言え、まがりなりにも九州までただで旅行できるわけであるし、相当に美味しい仕事であることは否めません。いや、本当にこのバイトは素晴らしい。素晴らしすぎて、少々恐いと言うか、薄気味悪いくらいです。F氏は一体何を考えているのでしょうか。全くもって不可解です。
一泊ですぐ帰って来る旅行と言えば、内田百閧フ紀行小説『阿房列車』を思い出します。これは列車に乗ることだけを目的とした旅行の記録です。第一回の大阪行きの話では、「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」という書き出しの通り、特に用事もないのに大阪に行き、到着したらやっぱり何も用事がないので帰ることにし、宿で一泊しただけで本当に帰って来てしまったというミもフタもない珍道中が描かれています。他のエピソードもだいたいそのような感じのものばかりで、とにかく百鬼園先生は列車での移動こそが旅の目的であり、観光や長逗留などしたくもないというスタンスなのです。(思想的に、F氏と近いものを感じます。)
僕は列車内で読む本として、その『阿房列車』の文庫を持って行こうと思ったのですが、部屋中探しても一向に出てきませんでした(本というものは、いざという時には見つからないものなのであります)。仕方がないので、別の紀行小説の本を持って行くことにしました。新進気鋭の作家が書いたヨーロッパ旅行記です。それは研究室の先輩から薦められた本であり、さっさと読んで彼に感想を報告する必要があったので、まあ丁度いいか。こうして僕のささやかな旅が始まったわけです。
僕は駅弁と駅蕎麦のどちらが好きかというと、断然駅蕎麦派であります。それで、今回も駅で蕎麦を食ってから旅立とうと思っていたのですが、どういうわけだか駅に到着した僕は、ふと気まぐれを起こし、蕎麦は食べずに駅弁を買ってしまったのです。別にどうということもない、ちまちまとしたオカズが行儀よく整列している、ごくごく普通の幕の内弁当です。蕎麦を食べるつもりだったのに、一体どうしちまったんだろう俺は、と、僕は幕の内弁当を片手に首をかしげました。しかしまあ、しょうがない。たまには駅弁もいいやもしれぬ。
というわけで僕は、幕の内弁当を片手に新幹線に乗り込んだわけです。
席に着くと、僕はまずカメラを取り出し、窓の方へレンズを向け、録画ボタンを押しました。これで後は、テープが切れかけた時に補充をするだけ。実質的には仕事完了です。
ぼろい。
僕はけたたましい発車ベルの嘶きを聞きながら、一人ほくそ笑みました。
やがて新幹線はゆっくりと走り出し、徐々にスピードを上げて行きます。することのなくなった僕は、カバンから本を取り出し、読み始めました。
ヨーロッパ旅行記。僕より何歳か年上の女性作家が書いたものです。著者近影を見てみると、少々顔が丸すぎるものの、目鼻立ちがはっきりしていて気のきつそうな、そこそこの美人です。その写真の下には、彼女の錚々たる経歴がズラリと並んでいます。まず、彼女は星条旗の国、ハンバーガーとフライドチキンの国であるアメリカで生まれHappyかつFreedamな幼少時代を送る。多感な思春期時代になるとヨーロッパを点々としながら数ヶ国語を習得、その過程において彼女は多種多様な文化の影響を受け、それが後の創作活動の大きな糧になっているとのこと。もうbilingual、trilingual、multilingual、ぺらぺらで何でも御座れとのこと。そして大学卒業後には母国である日本に帰って来る(しかし『帰って来て』っておかしな表現ですね、経歴を読む限りでは彼女は日本を訪れたのがその時が始めてのようで、それまで行ったことのない場所に『帰って来る』というのはおかしな話)。そこで彼女は米国、欧州といった「素晴らしい国々」と比較して、このアジアの極東にある小国、日本があまりにも時代遅れで、文化程度の低い国であることにショックを受けます。そんな文化不毛地帯である日本の若者たちのために、数ヶ国語がペラペラに話せる上に本場アメリカじこみの自由思想を身に着けた私が啓蒙してあげましょう、ということで創作活動を始めたそうです。――要約するとだいたいこんな感じのことが書いてあります。そして彼女の発表するGlobalな視点とflexibleな発想が横溢した珠玉の作品群は内外から高い評価を受けているとのこと。ほほう、なるほど。それでは僕のように日本の片隅でくすぶっていて、一度も海外に出たことがなく、何も将来に展望を見出せず、人として軸がぶれていて、挙句の果てに初対面の老人から「きみの顔は、三十歳過ぎても童貞のままでいるような男の顔だな」などと断言されてしまう類の人間は、ぜひとも彼女の足元にひれ伏し、その足の指の爪の垢を煎じて飲み、しっかりと啓蒙していただかなければなりません。
その本の内容は、彼女がヨーロッパを巡り、思い出の場所や人々を訪ねるというもの。パリ、ベルリン、ロンドン、チューリヒ、アムステルダム、僕にとっては地図やテレビジョンの旅番組でしか見たことのない魅惑的な場所が次から次へと登場します。そして彼女は地元の高級料理に舌鼓を打ち、青い目の素敵な人々と外国語で流暢に会話し、沈む夕日を眺めては日本に残してきたハンサムな恋人を思い出しsentimentalな気分に浸るのです。
読んでいると、だんだん鬱っぽい気分になってきます。彼女のように華々しい旅行をし、あまつさえその旅行の自慢話を一冊の本にまとめ、たくさんの人々に見せつけられるような恵まれた人がいる一方で、僕のこの体たらくときたら――。僕は本のページから目を離して、窓の外を見ました。雑然とビルが並んだ、汚い風景が延々と続いていました。嫌になる、と思いました。その上、こんな風景を大枚はたいて見たいとのたまう気狂いに雇われ、こうして旅をしているのだ、俺は。
ここら辺で行き止まりなのだろうか。
僕は本を閉じました。目も疲れてきたことですし、そもそも読書は娯楽のためにするはずで、それならば何ゆえ他人の自慢話に付き合わされるのが娯楽になるのか、それでは果たしてこれは読書と呼べる営みなのか、わからなくなったので。そして僕は座席にわが身を埋め、目を閉じました。
・・・・・・・・・・・・。
隣の席のサラリーマンが放った巨大なくしゃみによって、僕の意識は現実世界に戻ってきました。二時間ほど、眠っていたようです。
午後特有の倦怠が車内に充満していました。僕は胃袋に奇妙な空虚感を覚え、傍らに置いた幕の内がまだ手付かずであることを今更ながら思い出しました。とりあえず、弁当を食おう。僕はそれを手元に引き寄せ、厚紙の蓋を開きました。シンと冷え切ったおかずから、微かに醤油と魚のにおいが立ち上りました。
僕は冷たいご飯粒を頬張りながら、ぼんやりと窓の外をながめていました。「ながむ」という古語には「眺める」と「物思いにふける」という二つの意味が内在されています。その時僕がしていた行為はまさに「ながむ」という言葉そのものでありました。カメラのレンズもまた、窓の外を「ながめ」ていました。窓の外は気持ちのよい晴れ空で、間違っても「長雨(ながめ)」などは降っていないのでした。
その、雲一つない空の下には、田園地帯が広がっていました。田んぼの中には、僕のように窓の外をぼんやり眺めている新幹線乗客にアッピールしているのでしょうか、大きな看板がいくつか立っていて、それらの看板にはのど飴の広告だの、防虫剤の宣伝だの、名も知らぬ不動産屋の電話番号などが描かれていました。そんな賑々しい板切れに時折目を奪われるうち、唐突に、僕の胸の中に奇妙な疑問が浮かび上がってきました。
これらの田んぼは、一体どんな人が耕しているのだろう?
田んぼがあるということはもちろん、耕作する人がいる、これは当たり前のこと。では、それは如何なる人物なのか、彼(彼女)は、僕にとっては名も知らぬこの地域の一角で、一体どんな農業生活を送っているのだろう・・・・・・?
やがて列車はトンネルに入りました。そのトンネルを抜けると、一秒と経たないうちにまた新たなトンネルに突入です。その、たった一秒間の空白のうちに、トンネルとトンネルの間に見えた風景、それは山間にある小さな集落でありました。
一瞬だけ集落が見えたな、と僕は、芥子のきいたインゲン豆を齧りながら独りごちました。さっき見た田んぼの耕作者が誰であるのかわからないように、僕はその集落がなんという名前なのであるか、そして一体どんな人々が住んでいるのか、やはりわからないのでありました。(とにかく、近代の科学力を結集して作られたこの列車は、あまりにも素早くすべてを素通りしてしまうのです)
――そう言えば、昔読んだ本の中で、次のような一節がありました。「あるトンネルとトンネルの間に、小さな村がある。新幹線から見る人々にとっては一瞬の村、しかしその村には三百年の歴史がある」――まさに今さっき僕が見た情景にぴったりの文章です。しかしその文章が、何の本に書いてあったのか、残念ながら思い出せないのでした。まあ、それは帰宅してから本棚をあさればわりと簡単にわかりそうなことですが、さっきから僕が目にしてきた田んぼや山間の集落について、、そしてそこに暮らしている人たちについては、一体どれほどのことを僕は及び知ることができるのでしょう?
いや、今日目にした風景のみならず、今日に至るまで目にしながらも素通りしてきた、たくさんの風景たち、――そして、その中で暮らす人たち――僕は彼らのことを何一つ知らないままなのです。それは一生知り得ないことなのかもしれない。そして一生、それら僕が素通りしてしまった風景の中で生きている人たちとは、出会わないのかもしれない。もちろん出会う可能性だってあるでしょうが、出会わない可能性もまた高いものであるような気がしました。またそれと同様に、彼らの方も一生僕という存在を知ることもなく、出会うこともなく過ごすのかもしれません。しかしそれは、どうってことのないことで、至極当たり前のことなのです。ということを今更のように考えて、僕はどういうわけだか薄ら寒いような気分になってしまったのです。
トンネルを連続して潜り抜けた後、新幹線は市街地に差しかかりました。画一的な、立方体の形をした住宅が何千戸、何万戸とひしめき合っていて、まるで岸壁を覆い尽くすフジツボのようでした。遠くに見える山は、その中腹が切り拓かれて、それはまるでナイフでえぐられて出来た大きなな傷口のような有様で、そこにもたくさんの家が乱立していました。そして、それらの家々に電力を供給するため、また、僕が乗っているこの新幹線を動かすため、仁王立ちになった巨人のような鉄塔が街の真ん中に一列縦隊で立ち並び、太い高圧電線が張り巡らされていました。
この、新幹線の高架橋沿いに続く家々の一軒一軒に、そして、立ち並ぶアパートやマンションの部屋の一つ一つに様々な人たちが住んでいて、みな違った人生を背負い、出会ったり、出会わなかったりして生きているのだという、至極当たり前のことに今更のように気づいて、僕は愕然としました。僕は知らず知らずのうちに、自分の見えている範囲のみ、自分が遭遇している事物のみが『世界』なのだと漠然と思っていました。しかし、僕には見えていない範囲、僕が遭遇していない事物にも、何千何百という物語と歴史がしかと存在し、そしてそれらこそがこの世界を形作る重要な構成要素であったのです。
思えば僕は、なんということもない平凡な風景や町並みを、こんなにつぶさに眺めたことは生まれて初めてでした。いつだって、そんなものは何の感慨もなく素通りし、見過ごしていました。
恥ずかしながら僕は小説家志望でした。だのに僕は、今まで一体何を見てきて、何を書こうとしていたのでしょう。
窓の外へ向けられたカメラのレンズは、延々と続く世界の一端を、黙々と記録し続けていました。
僕もしばらくそのレンズにならって、延々と続く世界の一端を凝視し続けました。
×××××
結局、ヨーロッパ旅行記はそれ以上読む気がおきませんでした。
結
「博多では、(フー、フー、フー)、豚骨ラーメンでも食ったのかね?」
「ええ食べました。せっかくなので、何軒か回ってみました」
「若いうちは(フー、フー、フー)いくらでも食えるからな。」
「いや、さすがに食いすぎちまったようで、ホテルに帰ってから腹をくだしましたが」
「ハッハッハ。ま、美味いものを食う際には、(フー、フー、フー)、それぐらいのリスクはおかす覚悟でいなけりゃな。美食に明け暮れた古代ローマの貴族たちは、(フー、フー、フー)、満腹して食べられなくなると、喉の奥に孔雀の羽根を突っ込んで胃袋の中のものを吐き出したり、(フー、フー、フー)、熱い料理をばくばくと食えるように、熱湯でうがいをして口腔内の粘膜を鍛えたと聞く。(フー、フー、フー)、快楽と苦痛は表裏一体、そういうものだ。さて、(フー、フー、フー)、無駄話はこれくらいにして」
と、F氏は身を乗り出し、テーブルの上に置かれた一本のビデオテープ――僕が撮影した、新幹線から見える風景の記録――を手に取りました。そして乗り出した身身を再び元の位置に戻すことに四苦八苦しながら、「さっそく見させてもらうかな。(フー、フー、フー)それで、君への報酬の額を決定することにする。(フー、フー、フー)審査が終わるまで、隣室でちょっと待っててくれたまえ」
「わかりました」僕は腰を浮かせました。
しかしF氏はなぜかその直後、部屋を出て行こうとする僕を呼び止めました。「ちょっと待ってくれ。(フー、フー、フー)言い忘れていたことがあった」
「なんでしょう」と僕。
「みほさんのことなんだがね」F氏は少々下卑た微笑を浮かべつつ言いました。「なんでも、一目見るなりすっかり君のことを気に入ってしまったそうなんだよ。(フー、フー、フー)で、是非君とダンスを踊りたいのだそうだ。彼女はダンスが大好きなのでね」そしてF氏は誰も居ない空間を軽く叩くしぐさをしながら「こら、みほさん、恥ずかしがってないで、彼といっしょに踊っておいで!(フー、フー、フー)」
僕は戸惑うばかりです。僕はダンスなんて洒落た遊戯はやったことがない、いやそれ以前に、実体のない、僕には見えない、F氏の目にしか映っていない女性と、どうやって踊ればよいのでしょう?僕は困惑したままで、みほさんの腰の位置と思われる何も無い空間に手を置きました。すると、どうしたことでしょう!生暖かいような、柔らかいような質感が、確かに僕の掌を捉えているではありませんか。僕は脊髄が凍り付いてゆくのを感じました。しかも、鼻先に、ミルクのような、花のような、甘く芳しい香りが立ち上ってきて、僕の脳髄を心地よく麻痺させてゆくのです。これはどうしたことなのでしょう?F氏の狂気が感染したのか、脳髄の回路を共有してしまったのか?しかし、柔らかく暖かい質感、甘ったるく乳臭い香りが、僕をどんどん阿呆にしてゆくようで、仕舞いに僕は戸惑うことすらも億劫になって、くるくると回転し始めました。回転しながら、隣室に目をやると、テレビ画面を食い入るように見つめている肥満体の老人の姿が見えました。彼の頬を何か光る粒のようなものが流れていました。そして僕は空気を掻き抱き、頭の中で優雅な音楽を鳴らしながらターンし、ステップを踏み、くるくると回転し続けます。
こうして僕はみほさんを強く抱きしめながら、いつ終わるとも無いダンスをいつまでも踊り続けたのです。
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